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邦楽ロックバンド「サカナクション」の山口一郎さんは天才です。
彼の思考が分かる対談や発言などをまとめました。
サカナクションの「戦略やブランディング」の考え方は、誰にでも役に立ちます。
パカログ
目次
【天才】山口一郎が語るサカナクションの戦略とブランディング
サカナクションが成長する上では、山口一郎さんの天才的なマーケティング戦略が重要でした。
以下、インタビュー記事を元に、その考えを紹介していきます。
山口一郎さんは最初に
「マイノリティの立場でいながらマジョリティの中で存在する」
ということをずっと考えていたようです。
そして見つかった方法が「一人に深く刺ささるものを作る」というやり方。
たとえば、高校のクラスの30人の中で20人に評価される音楽をつくるには、マイノリティである自分を捨てなければいけない。でも、1人か2人に深く刺さる音楽なら、やり方を少し変えればできるかもしれない。その1人か2人が全国に広がれば、それはマジョリティになるよね、と。
今のサカナクションの立ち位置も、マイノリティを突き止めたものという認識らしい
──サカナクションが今まで作ってきたイメージとか、リスナーに与えているであろう印象は、作品を作る上で考えますか?
もちろん。考えた結果こういう形だと思いますね。
──お客さんはサカナクションにどういうものを期待してると思いますか?
“斜めに入ってくる音楽”だと思われてると思うんですよ。ギターロックでバキっとわかりやすいメロディを英語で歌うんじゃなくて、ロックっていうフォーマットと、フォークっていうフォーマットと、ダンスミュージックっていうフォーマットが混ざってて、普通じゃない感じ、って思われてる気がする。それを斜めって思ってるけど。
──メインストリームではない?
メインではないと思います。
テレビに出るのが苦手な山口さん。
しかし、サカナクションの知名度のために、スポークスマン(顔)としてメディア露出を増やしています。
──そうですね。山口くんは戦略ってよく言いますが、かなり考えてこの状況に持ってったっていう実感はあるんですか?
それはあります。テレビに露出するって決めて、タイアップとかもあって、そうなるといいなと思ってオファーを受けてきて。実際に反響があったうえでこうなってると思うから。その戦略的な結果と感じてますけど、運もあるでしょうね。でもまだまだだし、もっと食い込んでいかなきゃって思ってますけど。
あとは、「バッハの旋律を夜に聴いたせいです。」でMステに出たことをキッカケに、
「Youtube→自分たちのアルバムやサイトへの誘導」
を考えていたのだとか。
例えば……「『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』」で「Mステ」に出演したとき、僕らはラップトップを前に5人並んで登場したんです。
サカナクションを知ってる人は、あれがスペシャルなことだとわかるけど、初めて観た人はこれがフラットだと思う。
それで興味を持った人はまずYouTubeを観る。
そこで「『バッハ~』」のPVを観て、さらに面白いと思ってほかの曲も聴いてみたいと思うか、趣味じゃないと思って離れていくか。
そこで濾過できる。言い方は悪いけど、選別できる。
僕たちを好きになるエッセンスを持った人たちだけが集まってくる。
そういうメディアの使い方って、今までなかったわけじゃないけど、意識されてなかった。
もちろん曲を作る、ライブで演奏するのは表現者として大前提だけど、それをさらにたくさんの人たちに聴いてもらうために、結果じゃなく作為的にやっていくのも表現としてアリだと思うんです。
それが「戦略すら表現」ということで。
現代的だし、テクノロジーを利用するのは当たり前の話だし。Pro Toolsが出てきたときと同じようにね。だからすごく健全じゃないかと。
「戦略すら表現」という言葉は「売ること」に抵抗がある人には救いがありますね。
インタビューで山口一郎が語る「わかりやすさ」と「創作」
創作者が表現したい「難しいもの」は大衆にはなかなか届きません。
ただ、一番の大きな問題は、今の世の中が「難しい」=「面白くない」になってしまっていることです。
僕は「美しいものは難しい」と思っていて。
難しいもの、理解できないものほど面白い。そして、その感動を得てもらうには、1回体験して理解してもらわなきゃいけないんですね。だから僕らは、体験してもらう場所をつくっていくことがすごく大事だと思っているし、そこでマネタイズしようとも考えていない。みんなが遊びに来て使ったお金が、そのまま次のイベントに投資される。自分の好きなダンスミュージックが、また鳴ってくれるっていうサイクルができるたらいい。そもそも音楽でお金儲けしようっていうこと自体、今の時代ナンセンスですから。
こちらのインタビューでも「美して難しいもの」について語っています。
山口:僕は、どんなものでも「バランスを取る」作業の取り方に魅力を感じていて。本広監督ともよくそういう話をします。映画もそうですけど、音楽も、大衆に届けるためにはやっぱりそれなりにバランスを取る工夫が必要じゃないですか。
でも、映画や音楽を好きな人たちって、最初は「美しくて難しいもの」にすごく興味を持つんですよ。その感動を知ってるから、大衆に届ける時に、美しくて難しいまま届けてしまう。けど、それだとなかなか評価もされづらい。そのままアンダーグラウンドにいく人もいるし、振り切ってわかりやすいものを作り続ける人もいるけど、どうバランスを取っていくかは多分センスなのかなと思ってます。自分も常にそれを意識していますし。
難しいものは受け手には届かないという現実。
それを受け入れた上で、どうバランスをとるのか、という話し。
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続いて、山口さんの中のJ-POPの定義も面白いです。
一言で言うと、とにかく「わかりやすい」こと。
では、山口くんが考えるJ-POPの定義とは?
わかりやすさ。何においても。歌も聴き取りやすい。ボーカルレベルが大きい。トラックはニュアンス。つまり聴こえてくる最初の音によってジャンルが特定される。イントロもそうだし、歌の裏で聞こえる音。そこで聴こえてくる音がギターだったらロックだと思われるし、シンセだったらちょっとダンスっぽいのかな、エレクトロニカっぽいのかなと思われるし、イーブンキックだとダンスミュージックだと思われる……という感覚かな。歌詞に関しては、ほんとにわかりやすさ。「『バッハ~』」を出したときにTwitterで「バッハの旋律を夜に聴いて。結局どうなったんですか?」って質問がきて。それは曲の中で感じてもらえばいいことで、「感じたままでいいんですよ」って答えたんですけど。つまり、そういうふうに音楽を聴いている、それ以外の聴き方がわからない。つまり、つげ義春のマンガを読んで、意味を求めるような人たちも相手にしなきゃいけない。そこがJ-POPなんだなと。だけど「良いわかりにくさ」と「ダメなわかりにくさ」があって。わかりやすすぎるのも、わかりにくすぎるのもダメだし、その間を狙うのが自分たちらしさにもなるかなと。
つまり、作品を受け取る側の努力が不要で、そのまま分かるようなものかと。
別に自分は、音楽をやらなくても良い、サカナクションのフロントじゃなくても良いという話もありました。
「より純粋なものとして発表するときは、ビジネスじゃないほうが良い気がする」
という言葉は突き刺さります。
──必ずしも自分で音楽をやらなくてもいい?
うん。だし、いつでも作って歌えるしっていう気持ちですね。発表する場所は自分のメディアもあるし。あと、お金目的で作るものと、そうじゃないものでは生まれるものも違うじゃないですか。より純粋なものとして発表するときは、ビジネスじゃないほうがいい気がする。今どうがんばっても、自分がお金を稼いで、それで生活してる人がいる以上は、商業的にならざるを得ないところもあるからね。そういうフォーマットの中でやってる限り、純粋に自分が伝えたいことをそのまま歌うのは難しいし。サカナクションっていう媒体の中で歌うのも難しい。個人で歌って、責任をすべて自分に持ってこないと。
対談から見える山口一郎の仕事論(ライスワークとライフワーク)
インタビューを読み解く中で、山口さんは「趣味としての音楽」と「仕事としての音楽」の葛藤に悩まされたのだな…とわかります。
対談でよく使われる言葉「ライフワーク」と「ライスワーク」の定義はこんな感じ↓
- ライフワーク:趣味の延長線で、純粋に自分がやりたい・聞きたい音楽を創れる仕事
- ライスワーク:バンドメンバーを含め関係者とその家族が食べていくためのお金が儲かる仕事
LIFE(人生)のための仕事か、RICE(生存)のための仕事か、という違いですね。
山口さんが葛藤していると明言しているインタビュー。
山口:もっくんにとっての、監督の仕事を続けていくための「ライスワーク」と、生涯をかけて挑むような「ライフワーク」があると思うんですけど、『曇天に笑う』はライスワークになるのかな、とちょっと思ったんですよね。ライフワークというよりは、「自分を外に発信していくための作品作り」という部分で、すごくこだわるみたいな要素が随所にあった。
僕、邦画はあまり見ないんですけど、「こんなのありえないじゃん」みたいな設定って結構ありますよね。現実はあんなにイケメンばっかりいるわけない。
『曇天に笑う』は何度も観たんですけど、もっくんが振り切ってるところと、どうしても切り捨てられなかったところを感じて。ライスワークをやる時のもっくん的な勝負の仕方とか、その葛藤がそのまま作品の味になってるというか、アイデンティティになってる。
僕もミュージシャンとして同じ葛藤を抱いているから、すごく共感できましたね。
ライスワークは「お金を稼ぐ、評価を得るための仕事」という意味が大きいです。
宣伝媒体でもあり、ライトな客を取り込むフロントエンドな商品(スーパーの特売品みたいなもの)とも言えますね。
山口:僕は、「ライフワーク」と「ライスワーク」があって。どちらも大切だと思うんですよね。この映画は、モッくんにとってはライスワークなのかなって思いました。より多くの人に開かれた作品? 例えば『曇天に笑う』を観た中学生の女の子が、「本広監督ってどんな人なんだろう」と思って過去の作品をたどって行って『お金がない!』や平田オリザの舞台にたどり着く、みたいな。
本広:なるほどね(笑)。
山口:だから今、この瞬間に評価されるライスワークも、入り口としてはもちろん大事。でも、そこから入ってく人たちがたどり着くライフワーク、「30年後とかに評価されるものを作る」という意識も忘れたくない。モッくんだったら舞台とか。ライスワークとライフワークは同時にやって行くべきだと思う。だから、今度はライフワークを一緒にやりましょうよ。
サカナクション山口一郎・本広克行監督対談 「祭り」を昇華した「揺らぎ」のポップス|Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
ライスワークをやりすぎると、ライフワークってどうやるんだっけ?となるお話。
……正直、私、スランプなのかもしれない。でも、スランプといっても曲が書けないわけではないんですよ。ずっとタイアップとかフェスでのヘッドライナーを務めることによって、外に向けて作る曲……シーンの中のど真ん中の曲を作らなきゃいけないっていうのがずっと続いていたんですね。なんだかそれに慣れちゃっていたんだよね。”あれ……本当に自分が作りたい曲ってどんなのだったっけな” って。ライスワークとライフワークっていう考え方があるんだけど、ご飯を食べるためだけの仕事と、自分の大義のためにやる仕事。その2種類があると思うんだけど……言い方は悪いかもしれないけど、ライスワーク的な仕事……外に向けて届けるためだけの自分の表現みたいなところに特化していたから、どうしたもんかなーって思っていたんです。」
ライフワークが世間に評価される天才じゃない人の戦い方について。
山口:僕、“ライスワーク”と“ライフワーク”って言い方をよくするけど、本広監督も仕事として楽しませるものを作るっていうことと、自分のライフワークとして好きなものを作るっていう、その二つの掛け合わせで生じる揺れってあるじゃないですか。
本広:はい……もう本当に、毎日それと戦ってますね。好きなことをやり過ぎてしまうと、なんか偏ってしまいますよね。それが面白いと認められる人たちは天才だと思うんです。
山口:うん。……尾崎豊とかね。
本広:で、僕らのような凡人というか普通にクリエイターといわれる人たちは、いろんな方からの……パクリとかって言われますけど、いろんなものを吸収して、それを形にして出すクリエイトなんですよね。世の中に天才はそんなにいないですね。
山口:僕ね、人の真似をするのは全然ありだと思うんですよ。だって、新しいものを今から生み出すのって、こんなにいろんなものが考えつくされた中でやれるわけないと思うんですよ。
サカナクション山口×本広克行監督 “人の真似”と“自分の真似”で生まれるものの違い – TOKYO FM+
山口一郎が音楽で食っていくと覚悟を決めた時の話
山口さんは23歳のとき、思ったように評価されず、いわゆる「普通の仕事」をしようと考えたこともあるようです。
そこでバイトに行って自分は他の人とは違う人種だと感じたのだとか。
一度だけやめようかな、と本気で考えたことがあります。
それは23歳のとき。
自分が目指している音楽が全然認めてもらえず、「これ以上は厳しい、もう音楽は趣味でやればいいや」と思ったんです。
音楽をやめてカメラマンになろう。
ただ、面接に行って担当の女性の方と話した瞬間、「自分とは全然違う人種だ」と感じました。
決してバカにしているわけではありません。でも、そのときに改めて、ミュージシャンとして自分が今までに生きてきた社会と、自分の周りの人が生きてきた社会は圧倒的に違うんだな、と思い知らされました。
振り返ると、「もう音楽で生きていくしかない」と、そのとき腹を括ったような気がします。
サカナクション山口一郎「20代は、影響受けるものを自分で決めない方がいい」 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)
その他、面白かったインタビューをまとめました↓
プロデューサーの野村達矢さんが、サカナクションについて語っています。
音楽以外のカルチャーを知ることで「サカナクションの音楽がより深く理解できる」というのは非常に面白い話です。
――いろんなツールで伝播していく時代においても、サカナクション自身から発信される“求心力”のようなものはずっとあるように思います。
野村:それはボーカルの山口一郎が発信するメッセージによるものが大きいと思います。彼はすごく色々なことを常に考えています。音楽そのものを伝えるということ、音楽のあり方、文化の考え方・あり方までを考えて、言葉にして、プロダクトにして、メッセージを届けることのできる人間なんです。その考えが<NF>というブランドにも表れていますし、ファッションやアートといった音楽以外のカルチャーとも連携を深めていって、最終的にはそれらのカルチャーを押さえることで、サカナクションの音楽を聴くときに理解がより深まるという構図になっているわけです。
野村達矢氏が語る、“チーム・サカナクションの挑戦”とHIPLANDが目指す次のステージ – Real Sound|リアルサウンド
実際、山口一郎さんは、音楽ライブ以外の楽しみ方についても色々と模索しています。
山口:そうなんです。僕はロックフォーマットの中で、クラブミュージックとロックの両方を分け隔てなく楽しめる空間を作りたいと思っていて。最近になって音楽以外の仕事をしている人と知り合うことが多くなったんですけれど、話をするとみんな音楽が大好きなんですよね。クラブに遊びに行ってた人や、ロックを聴いてた人が、今は違う仕事をしている。それがわかったときに、若い子が最初に触れる遊びとしての音楽に、もっといろんなカルチャーにつながる多様性があってもいいんじゃないかと思ったんです。そう考えてやっていますね。
フェスも街をターゲットにやれたら良いと思っているようです。
もはや視点が一アーティストのそれではない。
山口「それはやっぱり、“個”で音楽を聴くこと。音楽で心が震えたり、音楽で泣いたり、自分の未来を考えたり、自分を投影したりする。そういう“個”の音楽に導いてあげないといけない気はしている。エンタテインメントだけじゃなくてね。ロックやクラブミュージックは、“個”に投げかけるものであってほしい。“個”の人達が集合して、共同体になる。ロックの名のもとに人が集まるというか。そういう現象になればいいなって思いますね。だから、フェスも、本当は街の全部が“お祭り”になってほしいと思う。大きなホールも小さなライブハウスも、全部がひとつになっているような。街そのものが鳴っているようにできたらいいですよね。若者がパスをぶら下げてウロウロしていて、音楽に興味ない人にも“なんかうるさいぞ”と思わせるようなもの。プロモーションを兼ねてるような、ただ単にショーケースになってるようなフェスはおもしろくないと思う。
インストアルバムが作られる日も近いかもという話。
いつかインストアルバムは作りたいですね。それが評価されるような時代が来たらいいなって思うし、そういう時代を作りたい。何を聴きたいかって、人それぞれなわけですよ。でもね、「歌の次に何を聴くかバージン」なわけですよ、日本人の多くは。だからドラムなのか、シンセなのか、ギターなのか……どの音を聴いて、音と音の間にある感情や心理を感じられるのかっていうところまでをちゃんと音にしたいです。
Daft Punk「Random Access Memories」山口一郎インタビュー (3/3) – 音楽ナタリー 特集・インタビュー
まとめ:山口一郎さんの考えは多くの創作者に役に立つ
サカナクション山口一郎さんのインタビューは、多くの人、特に創作者に役に立つ内容でしたね。
一番重要なキーワードは「バランス」かなというのが個人的な感想
- 「ライフワーク」と「ライスワーク」のバランス
- 「美して難しいもの」と「わかりやすいもの」のバランス
- 「マイノリティな作品価値」と「マジョリティ向けの宣伝」のバランス
創作者というのは「世の中にはない自分なりの見方・感性」を持っているはず。
それは必然的に「マイノリティ性」(理解されにくい性質)を持っている。
それをそのまま押し出さず「マジョリティ性をもたせる・大衆に理解してもらう」表現を行うのが重要かな、と。
パカログ
結果、
- 生活のためのお金も入ってくる
- 自分の作品に興味を持つ人が増える
- 自分のやりたい表現が出来る自由度が徐々に増えていく
という状態につながるのかな、と思います。