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映画「ボヘミアン・ラプソディ」の感想解説です。
この映画、超傑作でした。
QUEENを知らない人、詳しくない人こそ見る価値があります
本ページの情報は2023年10月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。
目次
映画ボヘミアン・ラプソディの簡単な紹介・あらすじ
映画「ボヘミアン・ラプソディ」の簡単な紹介・あらすじです。
- ロックバンドQUEENのボーカル(フレディー・マーキュリー)の伝記映画
- フレディ役は「ラミ・マレック」という俳優(超似ている)
- 映画のあらすじは「ファルーク・バルサラという青年が、QUEENというバンドを結成し、フレディ・マーキュリーという人物になる話」です
ボヘミアン・ラプソディを見る前に知るべきこと
ボヘミアン・ラプソディを見る前に知るべきことは
- QUEENという世界的人気ロックバンドがいる(今もバンドは存続)
- ボーカルのフレディ・マーキュリーは45歳で死去(エイズが原因)
- フレディは同性愛者
というあたり。
アルパカ
「フレディの不幸に共感して、感動する」タイプの映画ではなく、
「QUEEN、スゲー!」「フレディ、スゲー!」っていういわゆる人間讃歌系の映画です。
ブライアン・シンガー監督が降板したのに傑作だった件
映画の裏話ですが、X-MENの監督「ブライアン・シンガー」が、この作品の製作中に降板しています。
なんでも、撮影が始まって、2ヶ月後に突如いなくなった(失踪した)らしいです!
長期休暇明けの失踪ということで、休み明けに仕事したくない気持ちに近いかもw
アルパカ
正月明けに会社にこなくなって連絡取れなくなるような感じですね
代わりに、俳優・監督の「デクスター・フレッチャー」が引き継いで、映画は完成。
こんなドタバタ劇を経ているのに、作品完成度はとにかく高いです。
映画ボヘミアン・ラプソディのネタバレ感想解説まとめ
映画ボヘミアン・ラプソディのネタバレ感想解説です。
- 「ファルーク・バルサラ」という青年が「フレディ・マーキュリー」になるまでの物語
- QUEEN最高&仲間でものづくりっていいなあ…
- 史実の改変を経て伝記映画足る
- 「21分間のライブ映像」を最後まで見続けられた理由
- 圧倒的な人生オールオッケー感
という話をしていきます
「ファルーク・バルサラ」という青年が「フレディ・マーキュリー」になるまでの物語
この映画「ボヘミアン・ラプソディ」は「ファルーク・バルサラ」という1人の青年の物語です。
何者でもない彼が「フレディ・マーキュリー」になるまでの物語でした。
彼の前半の人生は、映画であっさり描かれています。
- ペルシャ系インド人
- ゾロアスター教徒の家に生まれる
- ヒースロー空港で働く
- 「パキスタン野郎」と差別発言される
- ルックスにコンプレックスがある(出っ歯)
一言で言うと、理想の自分ではなかったし、なかなか肯定もされなかったのです。
しかし、現実のしがらみの中、なりたい自分に徐々に近づいていきます。
アルパカ
この映画を見ていて面白いと思ったのは、完全無欠に見える才能の塊フレディにも、気弱な瞬間があったところ。
元の自分である「ファルーク・バルサラ」の弱さ、迷いが何度も描かれていました。
それを支えてくれたのは昔の恋人であり、人生最高の親友であった「メアリー・オースティン」でしたね。
※恋人という単純な男女関係ではない、人間同士の深い結び付きの2人でした
そしてクライマックス。
最終的に彼は多くの悩みの中、自らの使命と生きる意味を再発見します。
多くの人が望む姿を魅せる「パフォーマー」です。
ファルーク・バルサラは、フレディマーキュリーになることを再度決意したのです。
QUEEN最高&仲間でものづくりっていいなあ…
フレディ・マーキュリーにスポットが当てられた映画でしたが、
「QUEEN」というバンドも最高だな!と思いました。
クイーンはみんなが曲を作っていますし、各メンバーが技術の高さ、さらに優れた人格を持っています。
決して「フレディ1人のバンド」ではなかった。
アルパカ
印象に残ったのは、枠外の曲(6分近いボヘミアン・ラプソディ)は作ってはいけないと言われたときに、
- 「俺達は普通のバンドじゃない、QUEENだ」
- 「常識は通じない」
- 「同じことをやっている暇はない。フォーミュラー(公式)にとらわれている暇はない」
とレコード会社の社長に向かって、みんなで啖呵を切るシーン。
アルパカ
あと、彼らが仲違いして、最後には友情を取り戻す展開も見所。
「フレディー、君は時折最低になる」という言葉がまさに、彼の独りよがりな態度と人間性の一面を表していました。
しかし、そんなフレディが戻り「何でもするから許してくれ」と言った言葉を聞いて、許すメンバーたち。
大人すぎる。
切っても切れない共同体=家族的です。
「何があっても見捨てない」という関係は、血がつながっていなくても成立するんです。
アルパカ
で私個人としては「仲間と、ものづくりする感」に憧れました。
みんなで合宿所にこもって、曲を生み出す、作り出す。
化学反応して、ふとした拍子に名曲が生まれるとかスゲー良い。
いつかこうやって多くの人に届く創作物を作りたいな、と思いました。
しかもそれが気心知れた、創作に本気の仲間たちとだったら最高だな、と。
史実の改変を経て伝記映画足る(フレディの病気の件)
史実の改変を経て「伝記映画」たりえます。
映画ボヘミアン・ラプソディは、史実と違うところがいくつもあります。
しかしそれは気にしても仕方ないですし、
- 2時間という尺に収めて、物語化するには改変は不可欠
- 事実自体も実際は謎(どの情報源を元にするかで変わる)
と私は思います。
たとえば、映画公開後に多く寄せられた批判では、
「ライヴ・エイドの前に、フレディは自身の病気(HIV)に気づいていないし、感染していない。事実を変えるな!」
というものがありました。
しかし、以下のQUEENメンバーへのインタビューを見ると、フレディは自身の病気を知っていたと解釈できます。
――映画では、フレディ・マーキュリーがHIVに感染していることをバンドに告げるのはライブ・エイドの前となっていますが、これは事実ですか?
メイ「いや、実際にはずっと後だ。僕らは脚本を書いていないが、この映画でいくつかのを出来事が起きた時期をずらすことを許可している。20年もの出来事を2時間で伝えるためには、たくさんのことを圧縮したり、シャッフルしなくてはいけない。だから、フレディの口ひげと、実際に口ひげを蓄えていた時期がずれている箇所がある(笑)」
――ではライブ・エイドのときは、彼がHIVに感染していることは知らなかったのですね。
メイ「いや、彼が問題を抱えているのは知っていたし、放射線治療を受けているのも知っていた。彼が自分で告白するまでのあいだ、僕らはずっと疑っていたけれど、直接問いただす勇気がなかったんだ」
――具体的に彼がメンバーに告白したのはいつだったんですか?
メイ「ライブ・エイドの後だ。この映画のエンディングの後だね」
ってことで、何が真実かなんて、伝聞された情報じゃ分かりませんよね。
これ自体も、メイとテイラーが本当を言っているのかを調べられませんし…
大事なのは、映画としての完成度だと思います。
さらに言うなれば「本当に伝えたいこと」が伝わったかが大事。
今回の映画では、
QUEENの素晴らしさ、
フレディ・マーキュリーという人物の素晴らしさ、
何より「生の肯定」が大きなメッセージだったと思います。
そういう意味で「病気のことをメンバーに告げたのはライブ前」という改変は、物語として伝えるのに良い方法だったと言えます。
あれによって「自己開示→一致団結感が生まれる」効果がありました。
ライヴエイドの最後の曲は「We Are The Champions」ではない【本当のセトリ】
ちなみにライヴエイドの映像も史実とは違います。
「We Are The Champions」が最後ではありません。
いかが本当のクイーンのライヴ・エイドでのセットリスト(セトリ)です。
- Bohemian Rhapsody
- Radio Ga Ga
- Ay Oh!
- Hammer To Fall
- Crazy Little Thing Called Love
- We Will Rock You
- We Are The Champions
- Is This The World We Created…?
アルパカ
映画全体のメッセージ「人生の肯定」から考えると、「We Are The Champions」が最後に流れる曲だったのは良い選択でしたね。
「21分間のライブ映像」を最後まで見続けられた理由
「21分間のライブ映像」を最後まで見続けられた理由はなんだろう?
ふと、そんなことを思いました。
最後のエンディングは控えめに言っても最高でした。
ただ、映画館(物語)を見に行っているのに、音楽映像が20分以上流れるって、普通は退屈しうるよなあ、と。
だって、撮り直したとはいえ、ただのライブ映像です(すごかったけど)。
このライブの裏側で何か起こっていた!
みたいなハラハラ・ドキドキの並行展開もありません。
では何故見続けられたのか?
1番大きな理由としては、圧倒的に名曲揃いだったということ(普通ですみません)
単純に音楽の力ってスゲー、というのはあります。
アルパカ
ただ、それ以外にも、やはり映画としての作り方がうまかった。
フレディの病気、QUEENというバンドの逆境、仲違いしていたメンバーの再団結、など次々とパズルのピースが埋まる感覚。
スロットで「7,7,7」と揃っていく如く、一気に大フィーバーです。
物語構造は
「どん底→大成功→どん底(失敗)→再度成功」
とシンプルです。
しかしながら、QUEENという実在するバンドが歩んできた道を考えると、なんとも胸熱です。
まとめ:「人生オールオッケーじゃねえか!」
なんにしても、ライヴエイドの「最後の21分間」が、この映画のクライマックスでした。
QUEENならびにフレディの人生にあった全ての出来事は、あの瞬間に肯定されました。
映画を通じて語られた、
全ての悲惨な出来事、挫折、辛さ、失敗。
それらは全て、あの一瞬のために、
あのライブのためにあったのではないか?
そう思えるほどの大逆転劇。
一言で言うと、
人生オールオッケーじゃねえか!
いわば、人生の圧倒的な肯定。
苦しさも、自己否定の過去もひっくるめての「全肯定」ですよ。
そりゃ泣きますって…。
どんなに幸せな家庭に生まれた人にも、
どんなに大変な逆境で生まれた人にも、
必ず人生には失敗はつきものですし、
ままならねえ世の中と、
思い通りにならねえ現実の中で生きている。
そんな中で、いつか報われる瞬間、過去もひっくるめて全肯定できる「その時」がくる。
その時が来たら、過去を振り返って、
自分の人生は間違えていなかったし、
自分が自分らしくあってよかった、
そう思えるはず。
最後に「We Are The Champions」は語ります。
戦い続けよう 最後まで
負け犬たちにかまってる時間なんてない
だって俺たちは世界のチャンピオンなんだから
と。
we’ll keep on fighting till the end
No time for losers
‘Cause we are the champions
– of the world –FROM : We Are The Champions